10月26〜29日に、勤務先の研究プロジェクトの出張で大分県へ行ってきました。別府竹細工業界の生き残り策、後継者難で一人で織り続けている箭山紬、「史上最悪の商店街」が1日大型バスが10〜20台も来る視察ラッシュの「昭和の町」で活気づく豊後高田、九州のグリーンツーリズムを引っ張ってきた安心院町グリーンツーリズム研究会、などを視察しました。
その合間の27日の夜、久々に由布院を訪れ、亀の井別荘の中谷健太郎さんとお会いし、中谷さんが主宰する「有機食材交流会」に飛び入り参加させてもらいました。会には有機農法を実際に実践している方々が食材を持ち寄り、それを亀の井別荘の料理人たちが活用してメニューを作り、食材を持ち寄った生産者と亀の井別荘の関係者とが一緒に試食をする、という形式でした。
写真はそうした料理の一品です(たしか肉の煮込みです。鹿肉だったような気がします。間違っていたらごめんなさい)。有機でホロホロドリを飼育している方はホロホロドリの薫製を提供されました。ほかにも合鴨農法で米を作っている方、有機大豆で豆乳を作っている方などなど、全部で20人ぐらいが集まり、楽しく語らいながら食事をする和やかな会となりました。
ただ、集まった方々の多くは、由布院の外から駆けつけた方々でした(地元の方も何人かいました)。中谷さんはいいます。「この会はどのぐらいの規模で続けたらよいのか。地理的範囲を限定すべきなのかどうか」と。また「有機といってしまったとたん、厳密に有機とはいえないが真面目に生産している由布院の多くの若い農家が除外されてしまうが、どうしたらよいのか」という問いも出ました。
由布院には、ソトの人々の力を内部化しながら「由布院たるもの」を維持・発展させてきた歴史があります。しかしその一方で、由布院の観光はどれだけ地元の農家や人々とつながってきたのか。そんな思いを1年以上前に中谷さんは語ってくれました。「枝葉は育ったが根は育っていなかった」と。「宿屋が百姓になるしかないか」と独り言のように言われた言葉が耳に残っています。合併問題とそれに関わる町長リコール問題で町が大揺れに揺れ始めた頃のことです。中谷さんたちの合併反対運動は、由布院の人々から十分な理解を得ることができなかったのです。
そして今、由布院のソトの有機農業実践者と「つながる」ことで、新しい何かを由布院に作り出そうとしているように見えます。もちろん、農薬空中散布さえ行なわれる由布院の地元の農業のなかにも徐々に有機農業への賛同者を増やせたら、という思いも見え隠れしているようです。由布院において、ソトとつながることがウチとつながることへどのように転換していけるのか、注目してみていきたいと思います。
湯布院町は狭間町、庄内町と合併して由布市の一部となりました。大分県は市町村合併の優等生で、九重町など2〜3の町を残してすべて市になります。そのとき、由布院はどうやって生き残っていくのでしょうか。合併した市のなかでいかにして地域のアイデンティティを維持させていくかは、日本全国の地域づくりにとって大きな課題となっています。「由布院は独立しなければならない」「大分県湯布院町ではなく九州・由布院を目指す」と中谷さんは言います。では、由布院ほどのブランドを持たず、ウチともソトとも「つながり」を持てない地域は、これからどうなっていくのでしょうか。市町村合併の進行は、これまで地道に積み上げてきた地域づくりにどのような影響を与えるのでしょうか。そのような文脈のなかで、「つながる」ということの意味をもう一度深く考える必要があると思いました。
一村一品運動という用語や思想が県行政から消え、続いてその「一村」が消えてしまった大分で感じた雑感です。
(松井)
posted by あいあいネット at 17:42
| 東京 ☀
|
Comment(0)
|
TrackBack(0)
|
いりあい・よりあい通信
|

|