2008年02月07日

「いりあい交流」第2弾:ワークショップを開催しました



「いりあい交流」担当の増田です。
トヨタ財団より助成をいただきながらの映像記録の共同制作活動。1月20日から27日までインドネシア・中スラウェシを訪問し、映像記録に関心をもつ現地のメンバーと第1回目のワークショップを開催しました。

当初の計画では、「民族文化映像研究所(以下、民映研)」のカメラマンである澤幡正範さんにも参加いただき、これまで農山村の映像を撮られてきたご自身の体験をお話しいただくことになっていたのですが、ヴィザの都合により今回は実現しませんでした。その他には、トヨタ財団の楠田さんが視察のために参加されました。
 
ワークショップは計5日間。第1日目と第5日目はパルでオリエンテーション、第2ー4日目は映像記録を計画しているトンプ村を訪問しました。以下では、そのときの模様をお伝えします。



第1日目(1月21日)

パル市内にあるNGO「バンタヤ」事務所の庭先に建てられたカランパ(集会所)で、メンバー一同が顔を合わせ。パルの若者メンバーは10人ほど。今回は、ジョクジャカルタでNGO"INSIST"を主宰されるルムさんにも参加いただきました。ルムさんの司会で、今回の映像記録作業での目的や方法を議論しながら共有。

karanpa.jpg
(バンタヤの庭先のカランパで議論。カランパは、トンプの人々がわざわざ山を下りてきて建ててくれたもの。)


まず、中心テーマとして「稲(米)」に焦点を絞ることになりました。ただし、ルムさん曰く「村の文化や権利擁護の側面ばかり追い求めてはダメ。じっさいに村の人が生活してゆく上での、経済的なことにも目を向けてゆくことも重要だ」。たとえば、どれだけの食料や生活用品が自給できていて、どれだけのものを外部で購入しているのか?暮らしを立てるのに、どれだけのお金が必要なのか?どんな現金収入源があるのか?などなど、、、。
そのような次第で、翌日からのトンプ訪問では実際に村人の生活の経済的な側面について具体的な話を聞いてみようということになりました。

夜は、日本から持参した民映研の映像作品やルムさん自作の映像作品を皆で鑑賞することになっていましたが、停電のためあえなく中止、、、。

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翌日はトンプへ。なんと焼畑への火入れを見ることができました。




第2日目(1月22日)

トンプへ出発。もうひとつの交流先であるマレナ集落からニクセンさんも加わり、一行は計17人に。ヘダールさんと日本人3人(島上さん、楠田さん、増田)の計4人は山麓から山道を歩いて登り、その他のメンバーはバイクを利用。

昼前にトンプに到着すると、「今日はこの後、火を入れるゾ」とラングさん。そのことを、ダフィット君(ビデオ撮影担当のパルの若者)に話すと、「そんなのは突然に変わるよ。そう聞き続けて、俺はすでに2週間も待っているんだ」と苦笑い。島上さんにも同様の話をすると、「あああ、それは言っちゃダメ。そのことを口にすると、急に雨が降ったりするの」。というわけで、火入れの時期を前もって特定するのは(トンプの人に相談することも)、かなり至難のようです。焼畑を軸にした映像記録では、各段階の耕作作業を撮影することは不可欠ですが、他の作業の日取りも予測困難なのでしょうか、、。

火入れをする焼畑予定地は、現在の集落から徒歩で10分とかからない尾根の上。尾根には集落から奥の森へと続く野道が続いていますが、その両脇に細長いかたちで伐開地が広がっています。広さは、だいたい幅30-40メートル×長さ60-70メートルほどでしょうか。そこは、1970年代の強制移住前まで住居があり、「もともとのトンプ(トンプ・アスリ)」とよばれているところでした。すでに伐採された植生をみると、竹が目立ち、その他は草本ばかりで、樹木はほとんどみられませんでした。

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耕作主は、ラングさん(「いりあい交流2006 in Japan」では来日)の娘婿です。そのほかに、近所の男性が3人ほど手伝いにきていました。火を入れ始めたのは午後2時半。男性陣が手分けして、間隔を開けながら火を入れはじめました。ある男性は竹を細く裂いたものを火種としていましたが、なかにはライターでそのまま火を付けている人もいました。

火を入れる際、何かを唱えたり奉ったりと儀礼的なことは見られませんでした。火を入れる方向は、風を背に受けながら、しかも伐開地の斜面下方から。また、伐開地の周囲には延焼を防ぐ防火帯が設けられていませんでした。トンプの人の話によると、おまじないとともに一握りの土を火に投げ込むと、火は消えてしまうとのこと。日本での焼畑のように、斜面の上方から火を入れ、火の勢いをコントロールしながら、時間をかけて伐開地をじっくりと焼くというわけではないようでした。

火の勢いは40分ほどでほぼおさまり、1時間ほどで完全に鎮火。火入れそのものは、いともあっさりと終わってしまいました。用地内部には燃え残った部分が至る所に散在。1週間ほど放置して土地を冷ました後に、燃え残りの草を抜いたり、燃え残りを集めて、ふたたび火を入れるそうです。

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晩は、ラングさんの自宅脇のモスクの壁にスクリーンを張り、ダフィット君がこれまで撮りためてきたトンプの映像を上映。トンプの方々の姿が映っていることもあり、映像はおおむね好評。ただし、「焼畑のことは、もっともっとたくさんのことがらがある。それを記録しないと、まだまだ不十分だ」とのご指摘をいただきました。



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ラングさんの自宅脇からは、すぐ眼下にパルの夜景が広がっています(左の写真)。トンプからパルまでは、距離にして十数キロ。けれども、トンプの人のなかには一度もパルに出かけたことがないという人もいるというのです。これが私にとってはじつに不思議なことです。「ちょっと街まで」と思うことはないのでしょうか。

パルの夜景は「百万ドルの夜景」とはいかないまでも(おまけに、度重なる停電で、市街地の一部は暗闇状態)、きらびやかに輝き広がっています。そうした街の灯かりのひとつひとつを、トンプの人はどのように見ているのでしょうか。あえて街に行かなくても自分たちは暮らしていける。そのような心持ちなのでしょうか。

多くの農山村が「近代化」「都市化」「グローバリズム」といった流れのなかに飲み込まれていこうとするなかで、そこに取り込まれずに生活を組み立ててゆく力の源が、このあたりにあるような気がします。
posted by あいあいネット at 17:47 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | いりあい交流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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