2007年03月17日

インドネシア・中スラウェシ、山村での調査と交流 (その3)



「いりあい交流」担当の増田です。
前回に引きつづいて、先月に出かけてきましたインドネシア・中スラウェシの山村訪問記の後編(マレナ集落)をお伝えいたします。


マレナでも、焼畑を中心に集落付近を廻りました。マレナの焼畑ではちょうど稲の収穫の時期で、新米をごちそうになりました。hasil gotonroyong.jpg
谷間に位置するマレナでは、河岸にわずかながらも水田があります。じつは、多くの世帯では2001年まで水田で稲作をしていました。しかし、2001年の大水で灌漑施設が破損。自分たちの力では修復できないほどの大きな被害だったそうですが、政府による対応はいまだにありません。そのため、水田に水を引くことができなくなり、かろうじて天水を引くことのできる2世帯だけが水田耕作を続けています。その他の水田用地は放棄され、一部はトウモロコシ畑に転換するとのことでした。水田耕作のできない世帯は、焼畑での陸稲耕作に回帰しています。
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トウモロコシ畑に転換される元・水田地





 水稲には播種から3ヶ月で収穫できる改良品種が導入され、二期作がおこなわれています。 焼畑での陸稲は完全無農薬であるにもかかわらず病害虫の被害は少ないそうですが、いっぽうの水稲は農薬や化学肥料を用いても病気がちとのこと。今回、同行した蒲生さんは農学部出身の博士。単一薬品の長期使用により、害虫が農薬耐性をもってしまっているのではないか、そもそも稲の品種がこの土地の条件に適しているのか、などと原因を分析しながら、日本における有機栽培技術を村びとに紹介。 竹やオオバコといったマレナでも見られる植物にも意外な効能があることに、村びとは熱心に耳を傾けていました。
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◇ ◇


SD-2.jpg1970年代、マレナの土地の一部は、地方公社により一方的に接収され、丁字園内となりました。その後、2001年にマレナの人びとは土地の一部に対して奪回宣言をし、そこに小学校を建てました。その小学校の公的認可を受けるのが、現在の取り組みです。


◇ ◇


batas.jpgある焼畑の端に国定公園の境界を示すセメント杭がありました。しかし、村びとによると、1970年台に境界が定められたときには、もっと山側だったとか。このほかにも別機会にちがった境界線が定められたそうで、つまり集落の土地と国定公園をめぐって3つも境界線があることになります。政府の役人も、いったいどの境界が正しいのかわからないとのこと。こうしたあいまいな境界線も、マレナの土地問題を複雑にしています。



gate_kakao.jpgその一方で、道路脇に広がる個人所有のカカオ園。ものものしい門が土地の境界をしっかりと示しています。マレナは舗装道路沿いにあるため、郡中心部の町の起業家が土地を求めてやってくることもしばしば。住民が知らないうちに、彼らの手に土地が渡ってしまったことも過去にはあったそうです。


◇ ◇

最後の晩に、牧師さんは「やはり自分たちは日本から技術をまなびたい」と語られました。 昨年6月の「いりあい交流」で、福島・石筵の後藤克己さんは「日本の近代化をまねしてはいけない」とおっしゃられました。農業ひとつとっても、近代技術を駆使した農法もあれば、有機的な農法技術もあります。 いろいろな技術や知恵があり、いろいろなあり方があり、可能性がある。そのための情報を伝えることができれば、と思いました。

トンプ・マレナの訪問を終えて中スラウェシを発つ前晩、パルを拠点に活動するNGOの若手スタッフから取材を受ける島上さん。これまでの交流を通じて思ったこと、これからのことなどを伝えました。
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※ 今回の渡航は、NPO地球緑化センターの事業((社) 国際農林業協力・交流協会助成)にあいあいネットが協力する形で実現しました。
posted by あいあいネット at 10:40 | 東京 ☀ | Comment(0) | TrackBack(0) | いりあい交流 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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