12月5日には、11月にゴロンタロのNGOリーダーであるアルスディン・ボネ氏を日本へ招聘して実施した「スマイルりんく」の報告会をゴロンタロ市内で行いました。これについては、スマイルりんくのページで別途報告しますが、アルスディン・ボネ氏が簡単に帰国報告した後、松井からいりあい・よりあい・まなびあいネットワークの説明を行い、最後に山田からスマイルりんくの活動についての説明を行いました。
6日からは、地域開発・社会開発における地方行政とNGO・市民社会との有機的な関係の構築を目的としたJICAの「市民社会の参加によるコミュニティ開発」(PKPM)プロジェクトの現地国内研修および最終セミナーに参加してきました。
そこで何が起こったのか。以下、簡単に報告します。
12月6〜8日の現地国内研修は、ゴロンタロ州ボアレモ県で実施されました。1日目(12月6日)は、マスター・ファシリテーター以外に地元のバジョ村の村人代表も参加する座学で、ファシリテーションにおけるフィードバックと評価の意味について議論が行われました。
ところが、議論を始めて間もなく、村人代表が議論の蚊帳の外に置かれていることにマスター・ファシリテーターたちは気づきました。そこで、村人代表から村の話を聞きながらその話の中から村人代表へ何をフィードバックするかという観点でグループ討論が始まりました。
村人(右)の話を聞く参加者
討論の後、各マスター・ファシリテーターが村人代表へ各々の視点をフィードバックしたのですが、そのほとんどは村人代表が分かっている内容にすぎなかったのであり、マスター・ファシリテーターには現場を見たいという欲求が高まりました。しかし、「なぜ村へ行くのか」についてもう一度深く考える必要性に迫られたのです。
2日目(12月7日)は、1日目に村人から聞いた話をシェアした後、「なぜ村へ行くのか」について深く議論をする時間もないまま、村人の住むバジョ村へ向かいました。そして、そこで面白い光景が出現しました。
すなわち、研修に参加していた村人代表は、村へやってきたマスター・ファシリテーターたちを全く無視して、集まった村人たちを対象にグループ討論をいきなり始めたのです。村人代表は、前日までの現地国内研修のやり方をそのまま踏襲して、村であっさりと適用したのでした。そして、村人代表は「これがフィードバックである」とまとめたのでした。マスター・ファシリテーターは完全に蚊帳の外で、何もファシリテーションをなすすべがありませんでした。
3日目(12月8日)は前日までの振り返りを行いましたが、マスター・ファシリテーターからはいかに自分たちが能力不足・力量不足であるかを反省するコメントが次々に現れました。
続いて、展示会+最終セミナーは12月10〜11日に、ゴロンタロ市内の第3高校で行われました。10日は開会式で、市議会議長の挨拶などに続いて、第3高校のマーチングバンドによる演奏が華を添えました。
校内には、PKPMプロジェクトのマスター・ファシリテーターが関わってきた村人たちのスタンドが設けられ、思い思いに活動の説明や展示、果ては特産物の即売なども行われました。
そう、最終セミナーにおける主役は、マスター・ファシリテーターではなく、彼らが関わってきたそれぞれの村人たちでした。11日のセミナーでは、村人たちがこれまで自分たちが行ってきた活動について話し、マスター・ファシリテーターは村人たちの話を引き出す役割に徹しました。
興味深いことに、村人たちの話の中では、マスター・ファシリテーターが何をしたかについてはほとんど触れられなかったのです。これだけを聞いていると、マスター・ファシリテーターは一体何をしてきたかよく分からなくなるほどです。また、セミナーで他の村人たちの話を聞いた別の村人たちが興味を示し、村人たち同士で情報交換や交流をする光景が見られました。村人たちごとのスタンドでは、自分たちの活動の様子を訪問者に繰り返し説明する村人たちの姿が見られました。すなわち、村人が村人同士で学び合う状況が現れていたといえます。これは、少なくともインドネシアの他のどんな通常のセミナー(ふつうは有名講師の講演を拝聴する形式)と異なる、ほとんど見られない光景でした。
ファシリテーターが主役ではなく、彼らが関わってきた村人たちが主役となるような形でプロジェクトを終了したい、というのがPKPMの夢だったとすれば、それは曲がりなりにもかなえられたといえるかもしれません。もっとも、能力不足を自覚したマスター・ファシリテーターたちがこれからどのように自分たちで研鑽を積んでいくのか、国際援助機関などの事業をやりながらそれに依存していってしまう「先祖がえり」をどのように防いでいくのか、村人たちの意欲をどのようにさらに支え盛り上げていくのか、と課題はまだまだ山積しています。
村人の自立を支援する、依存関係を回避する、といったPKPMの活動から生まれてきたいくつかの村人の自信に満ちた活躍の姿を見ながら、そしてインドネシア全般に強まる政治とカネの影響力を鑑みながら、インドネシア東部に蒔かれた小さな種が着実に育っていくための働きかけは、むしろこれからが正念場になるという思いを強くしました。
(松井)
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