5月の中スラウェシ訪問記の第3回目です。
今回の項目は、以下のとおり。
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5日目(5月24日);ヴンジャの森へ向かうも、、
■焼畑での播種作業
■澤幡さんとダフィット君
■「椿山ー焼畑に生きるー」上映会
6日目(5月25日):焼畑をめぐり、パルへ
■焼畑に暮らす
■ママ・セラの撮影
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5日目(5月24日):ヴンジャの森へ向かうも、、
朝、目を覚ますと、青空が広がり、まずまずの空模様です。この日はヴンジャを行う予定の場所へ向かう予定にしていました。パパ・ジャニーたちに「まず、朝食を食べてから」と引き止められたものの、その朝食が出てこない、、、。そのような次第で、食事を終えて出発したのは午前10時ごろ。この日はパパ・ジャニーともう一人の老人が同行してくださいました。
■焼畑での播種作業
昨日の焼畑の脇を抜けると、その先にはパパ・リタ夫妻が火入れを終えた焼畑で播種をしていました。
パパ・リタ夫妻は昨シーズンとその前のシーズンまでは、もっと奥の尾根の斜面に耕地を拓いていたので、今回は焼畑の場所を大きく移したことになります。また、一昨年の耕作では、集落長さんと耕地を並べていましたが、今回は単独で耕地を拓いています。焼畑を一緒に拓くメンバーも固定しているわけではなく、そのときどきで入れ代わるようです。
作業では、掘棒で地面に穴を穿ち、そこに籾を数粒入れていきます。籾は自宅で保管していた袋から取り出し、ココヤシの殻の容器に移します。そのなかの籾の上には4-5センチほどの小石が入れてあります。これは「籾が早くなくなってしまわないようにするためのもの。そして、稲の精霊がどこかにいってしまないようにするためのもの」ということでした。
耕地の廻りをじっくりみると、さまざまな発見があります。まず、四角形の焼畑のひとつの隅に焼畑の「薬」となる植物が5種類ほど植えてありました。また、蔬菜も複数種植えられていました。トウモロコシは耕地内のある一角に数列に渡って植えてありましたが、焼畑を囲う枠の外にも、枠に沿って一列にトウモロコシが整然と芽吹いています。また、それとは別の枠の外には、マメやカボチャ、バナナ、サトウキビ、キャッサバがやはり整然と植えられています。マメやカボチャ、トウモロコシは、一株ずつ等間隔で植えられているのに対し、キャッサバは3本の挿し木が一組になって植えられていました。トウモロコシは焼畑のうち斜面の上方に植えられているのに対し、それ以外の蔬菜は斜面の最も底部に植えられていました。昨年1月にもこの夫妻の焼畑を訪れましたが、同じような構成で蔬菜が植えられていたことを思い出しました。
「トンプの焼畑にも、村の知恵がぎっしりと詰まっている」
澤幡さんは、複数種の稲や蔬菜が細やかな秩序をもって植えられているのをみて、ていねいにカメラに収めてゆきました。
そうこうしているうちに、薄暗い雲が一気に頭上に広がり、雨がポツリポツリと滴ってきました。パパ・ジャニーの導きで斜面を降りる枝道に分かれ、すぐ下にある焼畑の出づくり小屋へ駆け込みました。パパ・ジャニの焼畑でもいできたトウモロコシを焼きながら雨宿り。1時間ほどで雨が上がると、集落への道を辿ることになり、またしても「ヴンジャ」をおこなうという森には到達できませんでした、、、。
■澤幡さんとダフィット君
今回、澤幡さんには日本からデジタルビデオカメラをお持ちいただきました。そして、トンプでは澤幡さんとダフィット君はそれぞれに映像を記録してもらい、パルに戻った後に比べてみようと計画していました。基本的にトンプではメンバー全員で移動したので、二人は同じ対象を撮影しています。ときどき同じような位置でカメラを廻すこともありましたが、多くの時間、二人はそれぞれの角度から撮影されていました。
「ダフィットは、なんと贅沢な指導を受けているんだ。こんなの日本だと講師料だけでいくらかかるんだ」
島上さんは冗談を交えながら、二人の間で通訳をしていました。
■「椿山ー焼畑に生きるー」上映会
椿山では、山焼きの準備として蔓の根っこまでも抜いたり、木に登って枝を落としたりと、丁寧に作業をしてゆきます。また、火入れ後には、耕地内の石を除けてきれいに積み重ねてゆきます。こうした手の込んだ作業の連続にトンプの人びとは、驚いていた様子でした。作中には台風による痛々しい被災のシーンが出てきます。トンプでも自然と深く向き合った暮らしをしてきたからこそ、より強く共感できたのかもしれません。
文章にはない、映像のもつ表現と伝達の力をあらためて実感しました。もちろん、上映会の後はヤシ酒と日本酒で「よいよいネット」です。
6日目(5月25日):焼畑をめぐり、パルへ
この日にパルに戻る予定でしたが、「ヴンジャ」の森を見てみたいという気持ちを抑えることはできず、ふたたびパパ・ジャニーに尋ねてみました。しかし、やはり首を縦に振ってくれません。どうも話を伺うと、ヴンジャの森は集落から遠い上に、まだ伐開作業をわずかにおこなっただけで、はるばる出かけても大して見るものはない、ということのようです。それならばトンプ周辺をもう少し歩いてみたいことを伝えると、集落の近くで私たちがまだ出かけたことのない方面(「ブロック・バ・バンジ」という地名が付けられている)を歩こうということになりました。
■焼畑に暮らす
「ブロック・バ・バンジ」は「竹のある起伏の少し先」といった意味のようで、集落の南東に伸びる尾根筋に位置しています。薮の中の枝道をしばらく進むと、突然に視界が開けて耕作地が広がっていました。ここで耕作しているのはパパ・ラチュの1世帯。すでに12年もこの周辺で耕作地を廻しているとのこと。パパ・ラチュ一家は、集落ではなく焼畑に住居を建てて居住しているそうで、古くからのトンプの居住形態を続けています。すでにトンプの多くの世帯は、市場や学校への利便性から、また政府の指導により、集落を形成して集住するようになっていますが、パパ・ラチュのように焼畑に暮らし続けている世帯もまだまだいるようです(パパ・ジャニによると、この間、パパ・ラチュに住居を集落に移して一緒に暮らすことを提案してきてもいるとのこと)。
■ママ・セラの撮影
ママ・セラは携帯電話を持っています。当初、この携帯電話はトンプとの連絡用にパパ・ジャニに渡したものでした。しかし、普段、パパ・ジャニは携帯電話を持ち歩かず、結局、娘のママ・セラが携帯電話を持ち歩いているようです。
さて、今朝ほどから、ママ・セラが携帯電話を私に向けています。どうやら携帯電話のカメラで私を撮ろうとしているようです。「写真を撮るの?」と尋ねると、ママ・セラは「いつも、あなたたちは私たちを撮っているでしょう。私もあなたたちを撮るわ」と言うのです。そして、私たち一人一人を撮影していきました(気のせいか、澤幡さんのショットが多いような気がします、、、)。どのような写真を撮ったのでしょうか。それにしても、これまで一方的に「撮られてきた側」が「撮る側」にまわるという逆転が興味深く思われました。これまで、トンプで撮影してきた写真や映像をトンプの方々に見てもらうというやりとりのなかで、こうした展開が出てきたのでしょうか。今度、トンプに上がったら、写真を見せてもらえないか、ママ・セラにこっそり尋ねてみようと思います。
(次回につづく)


